あの作品は、どうしてこんなに面白いのだろう…。
いろいろな作品に触れて、そう思ったことは一度や二度ではないでしょう。そして、それがなぜ面白いのかを説明できない経験もきっと同じようにあるかもしれません。
『<面白さ>の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』の著者、都留泰作は、人気作品のどこに面白さがあるのか、その一端を明らかにしています。今回はその考えをもとに、面白さについて考えてみたいと思います。
世界観が決め手?
人気作品の特徴として、さまざまな物語が展開し、魅力的な登場人物が活躍することが挙げられます。私たちは普通そういうところに面白さを感じるはずです。しかし、都留は物語の構成や登場人物の造形のうまさではなく、作品の世界観に注目して、その面白さに迫ります1。作品の世界観とは、ストーリーや登場人物の行動ではなく、そういった行動を促す舞台設定、決まりごとを指すときに使われる言葉です。たとえば、「ジブリの世界観が好き」と言うとき、宮崎駿が描く、あの森の世界に憧れている状態を指しています。
都留はなぜ、世界観に面白さを見出したのでしょうか。都留は文化人類学者であり、漫画家でもあります。都留は、世界観という言葉を文化人類学的に「色々な民族集団の文化的価値観や宗教観に基づくそれぞれの物の見方やコンセプト、そのグランドデザイン」2、エンタメ的には「個々の作品世界を貫くコンセプト」「舞台設定」3とそれぞれ定義しています。
文化や宗教にはそれぞれ世界に対する考え方(=世界観)があり、それを表現する儀礼や風習があります。そのため文化人類学では、個々の人間の心情や行動から、どのような文化や考え方を持っているのかを捉えていこうとします。そのような背景的な部分に注目する姿勢は、文化人類学の考え方を応用できると考えたというわけです。
「人間的現実」を描けるか
では、誰にも思いつかないような世界観を用意できれば、それがたちまち面白いということになるでしょうか。あまりに現実離れした作品は「リアリティがない」と評価されるように、受け手がシラけてしまいます。
都留は、ヒットした作品の世界観には私たちの生活に結びつけられる「人間的現実」があると言います。「人間的現実」とは、まさに私たちが生きている世界そのものです。そこには日々流れる「時間」や、生活している「空間」があります。そして、人間どうしの営みには、会社や学校、地域の集まりといった「社会集団」があるはずです4。
これらの考え方を用いて、紹介されている作品を具体的に見ていきます。どのような「世界観」があり、そこに「人間的現実」がどういった形で落とし込まれているのでしょうか。簡単に内容をまとめてみました。
作品名 | 世界観 | 人間的現実 |
『スター・ウォーズ』 | 風を切る音が聞こえる宇宙戦艦 | 本来音のない真空の宇宙空間を、人間の世界のまま拡張した。 |
『となりのトトロ』 | 森や植物の描写 | 厳しい生活を強いられる田舎を、緑豊かで心地よいものとして再構成した。 |
『精霊の守り人』 | 詳細な自然描写 | 音や匂い、まぶしさを体感的に表現し、その世界で暮らしているような感覚にさせた。 |
『千と千尋の神隠し』 | 千尋が湯屋で雑魚寝するシーン | 人間時間では昼だが、湯屋では夜になり、時間の流れを体感させた。 |
『ONE PIECE(ワンピース)』 | 偉大なる航路(グランドライン) | 島を数珠繋ぎにして物語を進行することで、水平的な移動感覚を得られた。 |
『進撃の巨人』 | 3層構造の街 | 巨人から逃れたい読者の心理を内側へと引き付け、現代社会の雰囲気と同調した。 |
『踊る大捜査線』 | 所轄の青島、本庁の室井 | 個人の感情と組織の理屈の狭間で葛藤する心理が共感を生んだ。 |
『半沢直樹』 | 銀行マンとしてのプライド | 主人公の復讐劇も注目だが、組織の風紀を正そうとする心理描写も共感を生んだ。 |
いかがでしたでしょうか。上記の作品はいずれも有名なものばかりなので、観たり読んだりしたことがある方も多かったのではないかと思います。もっと詳しく知りたいと思った方は、実際に本を手にとってみてください。
先ほど挙げた作品を眺めてみると、どんなに突飛な設定であっても、受け手がその物語を味わう接点が必要だということが分かります。そうでなければ、なかなかその世界観を想像することが難しいからです。受け手が「いま・ここ」を離れて、その作品の中にいるように錯覚させる―「人間的現実」がある―からこそ、きっと受け手は異なる現実に触れて楽しむことができるのでしょう。今後、自分が面白いと思った作品に出会ったら、それがなぜ面白いのか、ふと立ち止まって考えてみるのも面白いのかもしれません。
「面白さ」ってなんだ?
ここから、私はもう少し踏み込んで面白さについて議論してみたいと思います。売れた作品には必ず「人間的現実」がある、というのが都留の主張でした。その主張自体はよく分かりますが、どうにも結果論のような、腑に落ちない雰囲気が漂っています。それはやはり「人気作は面白い」という前提(面白いから人気作なのでは?)と、その作品には「人間的現実」がある(人気作だけ「人間的現実」を考察する)という、いわば後だしじゃんけんのような論理構造だからです。そもそも、何に面白いと感じるかは人それぞれであって、先ほどの人気作もつまらないと言う人が必ず出てくるはずですし、「人間的現実」がある作品すべてが面白い、とはなかなか言い切れないはずなのです。
結局、作品を面白いと感じるかどうかは、その人自身の価値観や経験との接点が存在しているかどうかに尽きるのではないでしょうか。面白いと思う感情は、登場人物に感情移入できたり、その世界観が好きだったりと、いわば「あるある」として受け入れられる下地から発生するものだと私は考えています。その母数が大きければ人気作になり、少なければ駄作、いや隠れた名作になるだけの話です。宇宙に行ったらこんな感じだろう、巨人に攻め込まれたらこういう心情になるだろう…たとえ経験したことはなかったとしても、それが想像しやすい、共感できるのなら、それは受け手にとって現実ではないが、「あるある」として受け入れられる、現実的なことではあるのです。
面白さは、「人間的現実」ではなく「現実的共感」にこそ宿る。都留は作品の面白さから出発して「人間的現実」を引き出していましたが、私は個人の価値観により重きをおいて考えてみました。この「現実的共感」という考え方を次回以降も基礎にしながら作品の面白さについて考えていきたいと思います。